「みそ汁が飲みたい」― 家に帰って、もう一度きこえた願い【看取りの報告書・CF様のこと】
かわべクリニックでは、患者さまが最期の時間をどのように過ごされたかを「看取りの報告書」としてまとめています。
担当看護師の記録とともに紹介することで、ご自身の人生の最終段階に考える機会にしていただけたら幸いです。

いつもお世話になっております。ご紹介いただきましたCF様についてご報告申し上げます。
冬のはじまりの頃、退院当日より訪問診療を開始いたしました。入院前までご自身で歩き、食事も召し上がっておられましたが、入院を境に経口摂取が困難となり、閉塞性肺疾患に加え、廃用症候群(体を動かさない状態が長く続くことによる、筋力低下、関節がかたくなる、心臓の働きが弱まるなどの症状)による全身状態の低下を認める状態でした。ご家族からは「もう、苦しい思いだけはさせたくない」とのお気持ちを伺い、在宅療養を開始いたしました。
ご自宅へ戻られたCF様は「家に帰って来られて嬉しい」と話され、食べたいものをお尋ねすると「みそ汁がいい」とお答えになりました。
嚥下機能の低下により誤嚥性肺炎の危険性が高い一方、これまでCF様を支えてきた高カロリー輸液は、身体の変化に伴い、負担が大きくなる時期にさしかかっていました。ご家族と経過を振り返りながら、医療を少しシンプルにし、CF様の中に残されている力を信じてみることをご提案し、点滴量を調整のうえ、訪問歯科と連携して嚥下機能を評価しながら経口摂取を再開しました。
まもなくCF様は空腹を感じられるようになり、「お腹が空いた」「みそ汁が飲みたい」とご自身の言葉で希望を伝えてくださるようになりました。召し上がれる量は多くありませんでしたが、食べ物を口にされるときの表情は、ご家族にとってかけがえのないものであったと感じております。
その後、食後の発熱や酸素値の変動により、食事を一時中断せざるを得ない時期もありました。そのたびご家族と、今、何を一番大切にしたいのかを確かめながら経過を追ってまいりました。
病状の進行に伴い傾眠傾向が強くなり、せん妄と思われる発言も聞かれましたが、人生の最終段階にみられる自然な経過であることをご説明したところ、ご家族は落ち着いて受け止めてくださいました。最期が近づいてからは、呼吸音の変化などについてもその都度お伝えし、薬剤と輸液量を調整して、穏やかにお休みいただけるよう努めました。
年が変わって間もない、寒さの厳しい夜。ご家族に見守られるなか、CF様はご自宅で安らかに永眠されました。夜遅くまでいつもと変わらずお休みになっており、娘様がご自身も休もうとお顔を見られたときには、静かに呼吸が止まっておられたとのことです。
ご逝去後、娘様とお孫様より「入院中は何も食べられなかった母が、家に帰って、アイスやプリンを食べることができました」「薬を変えてもらってから、本当によく眠るようになって、私たちもホッとしていました」「家で看取ることができて、本当によかったです」「本当に幸せだったと思います」とのお言葉をいただきました。
CF様にとって食べることは、家に帰ってきたことを実感し、自分の希望を伝え、家族と喜びを分かち合うことでした。
そして、ご家族にとっては、食べさせてあげることが、お母様のためにもう一度できることを見つける時間でもありました。
このたびはご紹介をいただき、誠にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
在宅療養が始まる前、ご家族から聞かれたのは、こんな言葉でした。
「入院する前までは歩いていたし、食べてもいました」
「会いに行ったら、別人のようになっていて驚きました」
「面会もほとんどできず、会えても何もしてあげられなかった」
そこには、突然変わってしまったお母様への戸惑いだけでなく、そばにいてあげられなかった時間へのつらさや、何もできなかったというやるせなさがにじんでいました。だからこそ「みそ汁がいい」という言葉は、うれしさと同時に、不安も運んできたのだと思います。
食べさせてあげたい。でも、飲み込めずに肺炎になったらどうしよう。本人の願いをかなえることと、安全を守ること。そのどちらも大切だからこそ、ご家族の迷いは深いものでした。
口から食べることを再開したあと、アイスクリームを口に入れると、CF様は「もっと、もっと」と求められました。
アイスクリーム、プリン、ゼリーを口にできる量は、決して多くありません。それでも、一口を味わうCF様の表情は、ご家族にとって何ものにも代えがたいものでした。その喜びは、食べさせてあげることができたご家族にとっても、離れていた時間を少しずつ取り戻すような、かけがえのないひとときだったのだと思います。

一方で、食べた後に発熱する日もありました。
「食べさせたから悪くなったのではないか」
「本人が望んでいるなら、少しでも食べさせてあげたい」
ご家族の気持ちは、そのたびに揺れました。食べることを続けるのか、安全を優先して中止するのか。どちらを選んでも、心には迷いが残ります。
私たちが大切にしたのは、その迷いを抱えたまま、ご家族と一緒に考え続けることでした。「今、何を一番大切にしたいのか」を、その時々のCF様の表情や体調を見ながら何度も確かめる。答えは、そのつど変わってもよいと思っていました。
やがて、行きつけのうどん屋へ出かけているようなお話や、亡くなった方が迎えに来たような言葉が聞かれるようになりました。戸惑っておられたご家族に、人生の最終段階ではせん妄がみられることがあるとお伝えすると、「それなら安心します」と話してくださいました。
呼吸音が変わり、「痰が絡んで苦しそうです」と心配された時期もありました。薬剤や輸液量を調整したあと、CF様はよく眠られるようになり、ご家族は「私たちもホッとしました」と話されました。
「苦しませているのではないか」という不安が、「穏やかに休めている」という安心へと、少しずつ変わっていきました。
退院当初、ご家族は、急激に変わったお母様の姿に衝撃を受け、「これからどうなっていくのだろう」「自分たちに看ていけるのだろうか」という不安の中におられました。
そのご家族が、最期には、こう話してくださいました。
「家で看取れてよかった」「本当に幸せだったと思います」
「老衰で亡くなりました」と、私たちはニュースや死亡診断書などでも目にします。けれども「老衰とは何ですか」と聞かれ、すぐに具体的な経過を説明できるでしょうか。
老衰と聞くと、静かに眠り、ある日、そのまま呼吸が止まる。そのような最期を想像する方もおられます。
たしかにCF様も、最期の瞬間は、娘様が呼吸の停止にすぐには気づかないほど穏やかでした。
しかし、その穏やかな最期に至るまでには、少しずつ身体の機能が衰えていく時間がありました。
歩くことが難しくなり、食事の量が減っていきます。
飲み込む力が弱まって誤嚥しやすくなり、肺炎や発熱を繰り返すこともあります。
眠っている時間が少しずつ増え、会話が難しくなり、やがて食べたり飲んだりする力も失われていきます。
これらは、何か一つの病気だけで説明できる変化ではありません。人が老い、身体の力を少しずつ失い、人生の終わりへ向かっていく過程で見られることがあります。
老衰とは、単に「年を取って亡くなる」という言葉ではありません。身体のさまざまな機能が少しずつ低下し、生きるために使っていた力を、静かに手放していく経過でもあります。
その中で嚥下機能が低下し、誤嚥性肺炎を起こす方も少なくありません。すべての誤嚥性肺炎を自然な経過として見守ればよいわけではありません。治療によって回復が期待できる時期には、適切な検査や治療が必要です。
一方、人生の最終段階では、肺炎の治療が、その人の望む暮らしや穏やかさにつながるとは限りません。入院して治療を受けるのか、自宅で症状を和らげながら過ごすのか。点滴を続けるのか、口から食べる楽しみを大切にするのか。
そのとき考えたいのは、その人がどのように生きてきたのか。何を大切にしてきたのか。今、何を望んでいるのか。その人らしく生ききるために、何を守りたいのか。そこから、医療のかたちを一緒に決めていくことです。

CF様には「みそ汁が飲みたい」「アイスが食べたい」という願いがありました。
その小さな願いを守ることが、CF様の暮らしを支え、ご家族の後悔を減らし、最期の「家で看取れてよかった」という言葉につながったのだと思います。
人生の最終段階では、さまざまな変化が現れます。
食事を摂れなくなり、水分も飲まなくなる。眠る時間が増え、会話が少なくなる。呼吸の音やリズムが変わり、手足が冷たくなっていく。
ご家族にとっては、そのどれもが初めて見るもので、不安や恐怖も伴うものです。
「このまま何もしなくていいのでしょうか」
「食べさせないと弱ってしまうのではないでしょうか」
「点滴を増やした方がよいのではないでしょうか」
「救急車を呼んだ方がよいのでしょうか」
そう思われるのは、当然のことです。
大切な人を失うかもしれないとき、落ち着いていられる人はいません。だからこそ私たちは、元気なうちから、人がどのように老い、どのように最期を迎えるのかを知っておくことが大切だと考えています。
ただし、経過を知っていても、悲しみが小さくなるわけでも、怖さがなくなるわけでもありません。
それでも、心づもりがあることで、「異常が起きている」と思っていた変化を、「身体が最期へ向かっているのかもしれない」と受け止められることがあります。
「何かしなければ」と焦っていた時間を、そばにいよう、手を握ろう、ありがとうと伝えよう、という時間に変えられることがあります。
心づもりとは、亡くなることをあきらめることではなく、最期まで、その人らしく生きるための準備です。
そして、ご家族がその時間を、愛情を伝える時間として過ごすための準備でもあります。
私たちが見ているのは、患者さんの病気や症状だけではありません。
患者さんが何を大切にしてきたのか。ご家族は、今どのような気持ちでそばにいるのか。言葉にできない迷いや不安を抱えていないか。ご家族の表情や声の調子にも、できる限り心を配りたいと思っています。
看取りの時間に生まれる迷いをすぐに打ち消すことは、私たちにもできません。正解をすべて示せるわけでもありません。
食べさせてよかった? 治療すべきだった? 他にもできたことは?
この選択で後悔しない?よかったのか?
だからこそ、その時々の気持ちを伺い、一緒に立ち止まり、一緒に考え続けたいと思っています。
在宅医療のゴールは、家で看取ることだけでなく、ご本人とご家族が望む場所で、望む過ごし方ができるように支えることです。
途中で入院治療を希望されれば、その選択も大切にします。自宅で過ごすことを希望されれば、不安な時間を医療や看護で支えます。
最後まで一人の人として尊重され、ご家族が最期に「十分にできたとは言えないけれど、これでよかった」と思えることが大切なのです。
私たちが支えたいのは、その人が生きている時間の豊かさです。
人は必ず老いていきます。そして、いつか必ず最期の日を迎えます。それは、誰にも避けることのできないことです。
しかし、どのように生きるか、誰と過ごすか、何を大切にするか、どのような医療を受けたいか。そのことについては、元気なうちから考え、話すことができます。
何のために、誰のために生きるのか。長く生きることと、豊かに生きることは同じなのか。食べられなくなっても、会話ができなくなっても、その人らしさとは何なのか。
豊かに生ききるとは、どのような人生なのか。その答えは、一人ひとり異なります。答えを一つに決める必要もありません。気持ちは、身体の状態や家族との関係、暮らしている環境によって変わることもあります。
だからこそ、何度でも話してよいのです。「最期はどうしたい?」と直接尋ねるのが難しければ、
「もし食べられなくなったら、何を大切にしたい?」
「病院と家なら、どちらが落ち着くと思う?」
「自分らしく過ごすために、手放したくないものは何?」
そんな小さな問いから始めてもよいと思います。
これは、大切な人の人生を知り、その人らしい生き方を一緒に考えるための、とても縁起のよい話です。
CF様が教えてくださったのは、何かができなくなっても、その人の願いは残り続けるということ。そして、その願いを家族と医療者がともに受け止めることで、最期まで豊かな時間をつくることができるということでした。
CF様、ご家族の皆様、大切なことを教えてくださり、本当にありがとうございました。
食べられなくなったとき。眠る時間が増えてきたとき。これからどうなっていくのかが分からないとき。
そうした不安は、その時になってから初めて向き合うには、あまりにも大きなものです。
かわべクリニックでは、在宅医療の介入が始まる少しでも前から、できれば早期から関われるようにと、「これから相談室」を設置しています。
介護のこと、医療のこと、家族や生活のこと。お力になれることがあるはずです。一度話を聞いてほしいと思われたら、ぜひお電話にてご予約ください。
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