第2回「治らへんのは分かっているけどな」【看取りの報告書・CDさま】シリーズ生ききるということ
かわべクリニックでは、患者さまが最期の時間をどのように過ごされたかを「看取りの報告書」としてまとめています。
今回はある患者さまと、そばで支え続けたご家族の変遷を4回に分けて、考察しています。シリーズを通して一緒にさいごの時間について考えるきっかけにしていただけたらと思います。
肺がん終末期と診断されたCDさまは、抗がん剤治療を続けながら「できるだけ家で過ごしたい」と望んでいました。そして「治したい」という希望を抱きながらも、さいごの時間を家族と穏やかに過ごしたいという願いを同時に持っておられたことに触れました。
今回は、そのふたつの願いのあいだで、CDさまご自身がどんな言葉を口にされ、どんな時間を過ごしておられたかをたどります。
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在宅療養が始まってしばらくは、CDさまにとっても、ご家族にとっても穏やかな日々が続いていました。
倦怠感や体重の減少はあったものの、通院しながら治療を続け、自宅では好きなテレビを観たり、娘さんと言葉を交わしたり。父娘の穏やかな日常がそこにはありました。
けれど、少しずつ、でも確実に、体の変化は表れてきました。食欲が落ち、動くと息が切れ、横になって過ごす時間が増えていく。
できていたことが、ひとつ、またひとつと難しくなっていく。そうした変化のなかでも、CDさまはこんなふうに話されていました。
「治らへんのは分かってるけどな、できるだけ広がらんようにしたいんや」

この言葉を聞いたとき、私は「治したい」とも「もう楽になりたい」とも違う、CDさまの本音に触れたように感じました。
治らない事実を、ご自身はすでに受け止め、理解しておられました。それでもせめて苦痛がこれ以上は広がらないでほしいと願う気持ち。
それは、治療にわずかな希望を託しているというより、さいごまで自分の人生を手放したくない、自分の意志で生ききりたいという思いの表れだったのではないでしょうか。
ご自分の身体のことが不安なはずなのに、常に娘さんへの負担を気にかけておられました。そのため、体調がすぐれなくても、おそらく痛みが強くても、弱音をあまり口にされませんでした。それは父としてのプライドだったのかもしれません。
「まだ大丈夫や」とおっしゃりながら、ひとりで耐えていることを訪問のたびに感じていました。
「まだ頑張りたい」と「もうしんどい」という言葉は、本人や家族以外には矛盾しているように聞こえるかもしれません。
でも、どちらもCDさまの本当の気持ちでした。
私たちは、この時どちらかの気持ちを選ばせることをすべきではないと考えています。
ふたつの気持ちを抱えたまま過ごしている、その狭間で揺れるご本人の声に、耳を澄ませることこそ、医療者ができることではないでしょうか。
治療を続けるべきか、在宅で過ごし続けるのがよいのか。本人もご家族もずっと悩み続けていました。
これらの問いに、私たち医療者が代わりに答えることはできません。
できるのは、痛みや息苦しさをできる限り和らげること。そして、ご本人のそばで、その気持ちを否定せず、受け流さずに聴き続けることだと思っています。
CDさまのように、倦怠感や呼吸困難、疼痛に対して薬剤の調整が必要になることは終末期のがんでは少なくありません。こちらも少しでも痛みが和らぐように調整を重ねつつ、治療継続の希望を持ちながらも、変化していく体の状態との折り合いを、一緒に探っていきました。
医療者の立場から望ましい、こうしたほうがよいと思う場面はあります。
でも、その判断をご本人に押しつけた瞬間に、患者さんの「自分で決めている」という感覚が失われてしまうことがあります。
CDさまが最後まで「自分の意志で選んでいる」と感じられる時間であるように。
それが、私たちがいちばん心がけていたことでした。

CDさまのそばには、迷いながらも寄り添い続ける娘さんがいました。
仕事と介護のあいだで揺れ、「このままでいいのだろうか」と何度も自分に問いかけながら、それでも、そばにいることを選び続けて一日一日を過ごしていた娘さん。
次回のブログでは、支える側の家族が抱えていた葛藤、そして静かに心が整っていく過程を振り返りたいと思います。
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