第4回(終)・責めなくていい【看取りの報告書・CDさま】シリーズ生ききるということ
かわべクリニックでは、患者さまが最期の時間をどのように過ごされたかを「看取りの報告書」としてまとめています。
今回は特別編として、ある患者さまと、そばで支え続けたご家族の変遷を4回に分けて、考察してきました。シリーズを通して一緒にさいごの時間について考えるきっかけにしていただけたらと思います。
第3回では、支える側だった娘さんの時間をたどりました。仕事と介護のあいだで揺れながらも、そばにいることを選び続けた日々。そして「もう、心の準備はできています」という言葉に至るまでの、静かな心の変化について書きました。
最終回では、CDさまの旅立ちと、そのあとに残された言葉について。
「看取りの報告書」に私たちが込めているものについても、まとめたいと思います。
▼第1回の記事
▼第2回の記事
▼第3回の記事
眠っている時間がほとんどになり、声をかけても返事が返らない日が続くようになりました。
それでも、大きな苦しみを訴えることはなく、穏やかな呼吸のなかで、静かに時間が流れていました。
声をかけると、わずかにまぶたが動いたり、手を握ると、かすかに力が返ってきたりすることもありました。
そして、旅たちの日。ずっとそばにいると決めた娘さんに見守られながら、CDさまはご自宅で永眠されたのです。

後日、娘さんがこんな言葉を教えてくれました。
CDさまが「自分の人生は、万々歳やった」と口にされていた時の話です。
治らない病を抱え、できることが少しずつ減っていく日々のなかで出てきた言葉です。
強がりだったでしょうか。無理やり前向きになろうとした言葉でしょうか。
たしかにもうさいごの時は近づいているかもしれない。娘と父の別れの日が、明日なのかもしれない。
それでも、私はちゃんと生きた。ちゃんと生ききることができた。そんな充実した気持ちがにじむように表れた言葉だったと私は思っています。
娘さんにとって、この言葉は大きな支えになりました。
この言葉を聞いた私も、胸の奥がじんわりと温かくなったのをよく覚えています。
娘さんは言いました。
「それなら、この時間でよかった。これでよかったんだって、思えました」
そう話されたときの表情は、どこかほっとしたようで、でも少しだけ寂しそうでもありました。
看取りを終えたあと、ご家族は別れの寂しさとともに日常へ戻りつつある中で、自分自身に問いかけることがあります。
「あのときの選択は、正しかったのだろうか」 「もっとできたことがあったのではないか」
娘さんも、迷い続けた日々を振り返っていたことでしょう。このままでいいのか、治療を続けたほうがいいのか、もし病院だったら——。そうした自問自答を何度も繰り返しながら、毎日を過ごしておられました。
誰に聞いても正解はなく、CDさまご本人には聞けず。それにもし聞いたとしても、答えは出なかったでしょう。
でも何気ない「万々歳やった」という言葉が、その問いを受け止めてくれたのだと思います。
悩みながら、迷いながら、それでも精一杯考えて選んだ時間だったのなら、それは十分に尊いことです。
自分の選択を、家族で決めたことを、責めなくていい。
このご家族の姿から、私はそのことを教わったように思います。

どんな思いで過ごしてきたのか。 どんな迷いがあったのか。 どんな時間を大切にしてきたのか。私たちの「看取りの報告書」は、看護記録ではなく、あらゆる想いの経過を振り返りたいと思っています。不安、苦しみ、痛み、恐怖、そして安らぎや愛、感謝など、すべてです。
こうして刻まれる一つひとつの思い出をご家族があとから振り返ったとき、「私たちなりに考えた」「向き合っていた」と思えるための記録であり、次に大切な誰かとともにさいごの時を過ごす家族にとっての、小さな道しるべにもなっていくものだと思っています。
今回の父と娘の物語は、誰にでも起こりうることで、そしてさまざまな選択と結論があるはずです。誰かの選択を評価したり、否定したりすることは一切ありません。
もし今、病と向き合っている方や、大切な人に寄り添いながら選択を迷っている方がいたなら、お伝えしたいことはひとつです。
誰かに頼っても構いません。自分だけで背負い込む必要はありません。不安に思うのも当然です。
そして自分の選択を、あとから責める必要はありません。
その選択は、誰かを大切に思った結果のものではないでしょうか。
CDさまのように「生ききる」姿は、正解や後悔などをはるかに越えた存在なのだと思います。
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