第3回・そばにいるという選択【看取りの報告書・CDさま】シリーズ生ききるということ
かわべクリニックでは、患者さまが最期の時間をどのように過ごされたかを「看取りの報告書」としてまとめています。
今回はある患者さまと、そばで支え続けたご家族の変遷を4回に分けて、考察しています。シリーズを通して一緒にさいごの時間について考えるきっかけにしていただけたらと思います。
前回は、CDさまご自身の言葉をたどりました。「治らへんのは分かってるけどな」という言葉の奥にあった、ふたつの本音。そして、その揺れを否定せず聴き続けることが、医療者にできることではないかと書きました。
今回は視点を変えて、CDさまのそばで支え続けた娘さんの時間をたどります。
CDさまの体調が徐々に落ちていく変化を、最も敏感に感じていたのは身近にいた娘さんでした。
娘さんは仕事を続けながら、在宅での介護に取り組んでいました。朝、出勤前にお父様の様子を確認し、仕事中も気がかりで、帰宅すれば介護が待っている。そんな日々のなかで、娘さんはこう話されていました。
お父様ご自身は、前回までに書いた通り「まだ治すことを諦めたくない」「けれども、もうしんどい」という揺れ幅の中で過ごしていました。これに対して見守る娘さんの揺れは、感情の異なるものでした。「もっとそばにいてあげたい」という気持ちと、自分自身の生活を維持しなければならないという現実。そのあいだで、毎日の判断を迫られていたのです。

病状が進み、食事の量が減り、眠っている時間が長くなった頃、娘さんは介護休暇を取得し、できる限りの時間をお父様のそばで過ごすようになりました。
その頃から、娘さんの言葉が、また少し変わってきたことを覚えています。
「父は……今、しんどいんでしょうか」
「苦しんでいないでしょうか」
「私がそばにいることは、父にとって意味があるんでしょうか」
それまでは、自分はどうすればいいかという質問が、父にとってどうかという問いに変わっていました。ご自身の迷いよりも、お父様の苦痛を心配する言葉は、娘さんが自分のことを後回しにしているというより、「そばにいる」と決めたあとに生じてくる、新しい次の不安だったのではないでしょうか。
娘さんは、正解を知りたかったのではなく、今自分が抱いている気持ちを確かめたかったのかもしれません。これも想いが揺れるときには、自然な反応だったように思います。
最終段階へ少しずつ時計が進む場面で、家族の方がいちばん苦しくなるのは、自身が何もできないことではありません。
「この選択でよかったのだろうか」
「別の道があったのではないか」
そんな思いが、何度も胸をよぎるものです。
覚悟を決めたように見える、または強い決意を言葉にした人でも、不安や恐怖がなくなるわけではありません。ひとつの不安を越えると、また次の不安が現れる。特に支える側の時間は、その繰り返しでもあります。
私たちは訪問のたびに、CDさまの身体の状態を正直にお伝えしていました。
ある日、娘さんがぽつりとおっしゃいました。
「でも、父は家にいたかったんですよね。それだけは、はっきりしていて……」
その言葉を聞いたとき、娘さんのなかで何かが少しずつ整い始めているのを感じました。
「これでよかったのか」という問いが消えたわけではなかったと思います。でも、父が望んだことを叶えている、その事実がひとつの拠りどころになっていたのではないでしょうか。
それからの娘さんは、お父様のベッドのそばに腰掛けて、何気ない話をされていました。
「今日はね、こんなことがあってね」
「お父さん、聞いてる?」
返事が返らない時間が増えても、声をかけることをやめませんでした。これは介護というより、父と娘の日常の延長でした。
やがて、娘さんは静かにこう言われました。
「……もう、心の準備はできています」
その言葉は、諦めでもなく、手放す覚悟を固めたのでもありません。迷って、悩んで、不安を何度も越えてきた時間の先に、静かに辿り着いた言葉、見届ける心づもりでした。

次回は「万々歳やった」という言葉
自身が不安と向き合いながらも、穏やかに過ごした最期の日々。そして、あとから娘さんが教えてくれた生前の言葉。
最終回では、CDさまの旅立ちと、ご家族のその後の思い、そして「看取りの報告書」に込めている想いについて改めて記したいと思います。
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